今日はお外で色々やってきたよ。ふしゅう。(息漏れ)
初対面の面子が集まる立食パーティの集金係を務めるハメになったよ。ふしゅぅるるるぅ。(息漏れ)
人間の顔が覚えられないので、同じ人に二度声をかけないよう細心の注意を払ったよ。おおむね衣服で判断しました。全部で30人弱、なんとかなった。よかった。

あそうそう顔といえば。昨日シマとコミュニケーションどうのについて色々とはなしました。対面よりは活字コミュニケーション(メールとかブログコメ欄でのやり取り)の方がいいなあ。いいってか、その方がより質の高いコミュニケーションがとれる。対面は、わたしには情報量が多すぎるよ…
んん似たようなこと以前にもどっかのエントリで書いた気がする。
あコレだ ひとと向かい合って喋ると、相手の表情の変化を追い意味を解析しようと必死になる。(でも大抵上手くできない。)すると、肝心の話の内容に集中できなくなる。だからわたしは相手の顔を見ない。目を見ない。混乱するから。解析できないのに無視もできない、わたしにとって相手の表情など邪魔以外の何ものでもない。視線をそらしていさえすれば、声のトーンのみならば、視覚情報よりは煩わしさを感じない。(だから暗がりでしゃべる方が楽だ。)活字はいい。そういう煩雑な情報の多くを切り捨てているから。冷たいから。嬉しいなら「嬉しい」と、わたしに対して腹を立てているなら「お前ムカつく」と、言語によって申告すればいい。表情で語られても、わたしはそれを正確に読み解くことができない。
しかし、まわりの人間にインタビューをしてみると、「生の声や表情があったほうが(つまり対面の方が)より質の高いコミュニケーションをとりやすい」という意見の多いこと。微細な表情を読み解き声の調子を解析するというプロセスを、特に意識することもなくごく自然にこなしているんだろう。(そしてそれはおそらく「社会性」を選択したヒトという種の元来持って然るべき能力なんだ。)
漫画みたいに様式化されていれば、人相も覚えられるし、表情も読めるのになあ。
生身相手だとしんどいわ
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あー
このエントリも関連
当時はがんばっていたけれど、今はもう諦めているんだよ。相手の目を見て話すこと。どうしても必要な局面以外ではもう努力しないことにした。相手の顔を見て話すと頭が混乱し会話それ自体がおろそかになるので、対人コミュニケーションにおいてそのことはむしろマイナスになると判断したのです